2022年1月の記事一覧
創立六十周年記念式典
令和4年1月28日(金)浦和工業高等学校 創立六十周年記念式典が挙行されました。
新型コロナウイルス感染防止対策のため、3年生のみが体育館に集まり、1・2年生は各教室でオンラインで参加しました。
式次第は校長式辞に始まり、本校電気科の第1期生でもある 白鳥勲 様よりビデオメッセージが流され、歴代校長先生からの祝辞が読み上げられました。
休憩を挟んで、後半は工業科合同生徒課題研究発表会、そして音楽の碓氷昂之朗先生の記念独唱「ブロドスキー作曲 Be My Love~僕の恋人になっておくれ~」体育館に碓氷先生の美しく力強い歌声が響きわたり、式典を締めくくりました。
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| 機械科「フルモールド鋳造法」 | |
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| 電気科「PICを使用したプログラム制御」 | |
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| 設備システム科「法隆寺の五重塔何でこんなに頑丈なん??」 | |
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| 情報技術科「自主警備型簡易住宅セキュリティー」 | |
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特別発表「VRプロジェクト」(情報技術科) |
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| 碓氷先生の記念独唱「Be My Love~僕の恋人になっておくれ~」 | |
▽校長式辞
創立六十周年記念式典 「式辞」
埼玉県立浦和工業高等学校が創立六十周年を迎え、ご来賓の方々ならびに歴代校長の皆様のご臨席を賜ることは叶いませんでしたが、本日、記念式典を挙行できますことに心より感謝申し上げますとともに大変嬉しく思います。
顧みますと本校は昭和36年4月に、日本の高度経済成長期を支える中堅技術者の育成に対する期待と地域の工業教育に対する熱意と協力により、県立浦和高等学校内に仮校舎を開設し、電気科125名で始まりました。翌年の昭和37年に浦和市高砂小学校内に仮校舎を移転し、電気科160名、機械科120名が入学しました。昭和40年には全館が落成し、この年に創立5周年記念式典が挙行されました。その後、昭和59年に設備システム科が、平成3年に情報技術科が設置され、現在に至っております。初代校長の小林栄次郎先生のもと、「知性の高揚」「技術の錬磨」「誠実さの養成」「心身の練磨」を教育目標として掲げ、本校を卒業した1万5千人以上の「若きエンジニア」たちが各方面で活躍し、日本の工業発展に寄与してきました。
これもひとえに、歴代校長先生を始めとする教職員の並々ならぬご尽力と、PTA・後援会、同窓会等関係各位の絶大なるご協力の賜物であり、地域の皆様の温かいご理解ご支援のおかげであります。この場をお借りしまして、改めて厚く御礼申し上げます。
さて、この60年間で日本を取り巻く世界の状況は変わり、中でも工業化社会から情報化社会へ移行は「ものづくり」を主軸としてきた日本にとっても大きな変化をもたらしました。現在、高度情報化社会としてSociety5.0の時代が到来し、ICTを浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革するという意味を持つ、デジタル・トランスフォーメーションが叫ばれるようになりました。工業高校は、未来の「ものづくり」を創造するために、その基礎となる技術・技能を習得することを目的にしておりますが、変化のスピードは我々の想像を超えるものとなっています。
しかし、「温故知新」「古きを温めて新しきを知る」の言葉にもありますように、未来にばかり目を向けるのではなく、過去を振り返り、現在の立ち位置をしっかりと見極め、その上で未来の在り方を深く考えることは極めて重要なことです。その意味でも、この創立六十周年記念式典を機会に先輩方の思いを知り、現在の私たちが今後どうしたら良いかをじっくり考えることが必要だと思います。その時その時の節目という「点」を過去から現在へ、そして未来へと結ぶ「線」に変えることが周年行事の意義であると思います。
そこで、創立当時の昭和36年12月に発行された「浦工新聞第一号」の記事から一部を紹介いたします。それは、「何を浦工精神とすべきか」という第一回生の新聞部員が書いた主張です。浦和高校の一角の教室で学校が始まった頃は、生徒がお互いに仲良く協力し合い部活動に積極的に参加しているものの、学習への積極的態度が見られず教室の整理整頓ができていない状況だったようです。この現状を見て、「我々の前に道はないが、我々の後ろには道ができるのである。良くも悪くも我々が作った道の上を後輩が歩むのである。」と主張し、浦工の伝統と校風の土台を築き上げることが第一回生の責任であるとして、3つの浦工精神を創っていこうと訴えています。
1つ目は「旺盛な科学精神を」です。浦工新聞では「日進月歩する近代技術を扱う技術者の卵として恥ずかしくない勉強に対する積極性を持つようにしよう」と記されています。
2つ目は「豊かな教養を」です。豊かな教養を持った幅の広い技術者になることを目標としないと将来は単なる職工として一生が終わってしまうと危惧しています。
3つ目は「あふるる活気を」です。「社会に出て、厳しい生存競争に耐え抜いていける
強い肉体、立派な仕事をやり遂げる実行力を持った人間を目指して、活気あふれる気迫に満ちた雰囲気を盛り上げなければならない」として部活動に積極的に参加することを訴えました。
浦工新聞第1号を書いた第一回生は、当時、高校1年生です。この3つの浦工精神はしっかりと受け継がれているでしょうか。「我々の前に道はないが、我々の後ろには道ができる」という先輩たちの熱い思いは受け継がれているでしょうか。この創立60周年を契機に浦和工業高校の原点に戻り、今、現役の浦工生である皆さんたちも未来の後輩たちのためにしっかりと道を作っていってください。
「日本の明日を担う われら若きエンジニア われらの未来は輝けり」と校歌に込められた先輩方の熱い思いを胸に、社会に貢献できる人間になることが生徒諸君の使命です。
結びに、浦和工業高校生一人一人が輝く未来を創造してくれることを心から祈念して、式辞といたします。
令和4年1月28日
埼玉県立浦和工業高等学校 第22代校長 関根 憲夫
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